山形県内の在来種メダカ(Oryzias latipes)
生息地調査報告 第一報 (1998年)

 
山形県メダカ情報センター  辻 徹 ・ 矢口 修一
[所属 ] 山形城北女子高等学校 理科
〒990-0824 山形市肴町1-13  TEL 023-645-3377

1 はじめに

ここ10年程で身近かな場所から, とんとメダカの姿が見えなくなりました。私たちが子供の頃に普通と思っていたことが, 今の子供たちにとっては, 全く異次元のことなのです。インターネット上にも二つ程 [メダカ] のホームページがあります。そのうちの一つ[http://www.gws.or.jp/home/ozawa/medaka/medakalett.html] では, 全国のメダカ生息調査を呼びかけています。その調査結果は, 数カ月おきに更新され日本地図上にプロットされホームページ上に紹介されています。
1998年8月26日付けのホームページでは,山形県の生息地として庄内に 1ケ所のポイントが打ってあります。このポイントは, 鶴岡市在住の富樫幸彦さんの自宅の池で維持されているものです。その後 2ポイントになりましたが, 増えたのは天童市の佐藤政則さんの自宅で維持されているメダカです。
私たちは, 今年の6月30日に富樫さんの自宅を訪ね話を伺う機会を持つことができました。富樫さんが維持しているメダカは, 鶴岡市大山下池由来のもので, 今年は個体数もまとまり, 環境庁のバックアップも受けて, 生育環境が自宅の池と似ている羽黒町の二夜池に放流したとのことでした。夏に電話したところ, 放流した稚魚の生息が確認されたと,とても喜んで話されていました。
 
2 メダカを赤いという生徒たち
 
私たちがメダカの生息地調査に至った経緯はこんなことでした。
山形城北女子高等学校で生物を担当している辻は, 今年から, できるだけトータルな生き物を生徒たちに見せようと, 理科室内に生き物を持ち込む努力をしてきました。自然との触れ合いの機会を極端に失っている生徒たちに, トータルな生き物が語りかけるパワーが欲しいと考えていました。
鶴岡市の加茂水族館の協力で実現した「サカサクラゲの導入」は, 最初の「気持ち悪い」という反応や無視する生徒の多いことにがっかりすることからスタートし, 夏場は家で飼育するために多くの生徒に稚クラゲを配付したり, 具合の悪くなったクラゲのリハビリテーションを行ったり, 学園祭で一般公開したり, 本校科学部のメンバーを焚きつけて「サカサクラゲ通信」なるものを発行したりしているうちに, 授業で理科室に来る生徒たちは興味深げに水槽をのぞきこむようになりました。そして, いろいろな観察結果や感想を私たちに返してくれるまでになったのです。サカサクラゲの維持・飼育については, 本年度の山形城北高等学校紀要に詳細な報告をしていますので参照してください。
脇道にそれましたが, 発生の授業を控えて水槽にヒメダカを導入したのですが, その中に珍しく黒い在来種のメダカが混入していたのです。今考えると在来種のメダカが混入したのではなく,ヒメダカの増殖の過程で発生した先祖返りの黒メダカだったのかもしれません。大学時代に勉強した性転換や遺伝の話を思い出し, 同僚の矢口教諭と「この黒いメダカを分離して増やそう」といった話をしていました。
しばらくしてみると, いたはずの黒いメダカはどこにも見当たらず遺骸すら60リットルの比較的大きめの水槽の中に見いだすことができませんでした。当時の水槽には, ヌマエビやオオカナダモについてきたミズムシやサカマキガイなどもいて, それらに食べられて跡形もなく消えてしまったのでしょう。
 何とか在来種の黒いメダカが欲しい。それから黒いメダカを探して, いろいろな聞き取り調査や情報収集, 行き当たりばったりの現地生息調査をはじめました。探し出すとなかなかいないことに気づきます。いそうな地域に出かけて,土地の人に聞いても的を得ません。「メダカの学校は川の中……」と歌ったあのメダカは,最近野外でほとんど見かけなくなりました。あんなに身近かだったはずの「メダカ」という魚は,単に稚魚などの小魚や雑魚の代名詞として使われている現実に直面して呆然としました。
小学校の教科書にメダカが出てきます。もう20年以上も前からかもしれません。大学を卒業したばかりの私は, 学参物出版物の編集をしていました。当時, 黒いメダカは東京近郊では手に入りませんでしたから,ヒメダカを手に入れ,写真撮影をして出版物に使ったことがあります。教科書にもメダカとしてヒメダカの赤い姿の写真が載っています。そして今,私の前の高校生に問うと,「メダカは赤い」と答える子供たちが多いのです。
私たち大人は,自分の育ってきた過去の日本,過去の経験をもとにしか話すことができません。しかし,その言葉で表現される事象は,現代の子供たちと共有することはできないことが多いのです。なぜならその事象は,大人が知らないうちに子供たちの身の回りからなくなっていることが多いからです。言葉だけが行き交うだけで,そこに文化の継承が成立しない。メダカはその象徴ではないでしょうか。
 「メダカは赤い」という子供たちを何とかしなくてはならない。こうした思いが,私をメダカ探しに駆り立てています。そして,今私たちは里山縁の田んぼとため池を巡っています。山形だからかもしれません。いるところにはいるものです。まだまだ捨てたものではありません,人目を避けてはいますが,どっこいメダカはその存在を堂々と主張している場所が残っています。でも,多くの人はその存在すら知りませんし,人々の記憶からメダカは確実に失われています。
今回, 私たちが行った今年度の山形県内のメダカの生息地調査の結果を簡単に報告し, 今後, 生息の再確認と新たな生息地調査を呼びかけたいものです。
 
3 平成10年度生息地調査結果報告
(生息地は略号で示す)
 
最初に私たちの前に現れたメダカはNM地由来のもので, 山形市在住の佐藤俊さん摂さん兄弟からもたらされたものでした。10数個体いただいたのでしたが, 慣れない私たちのせいで 4個体 (♀3,♂1)を残して死亡させてしまいました。 6月30日のことです。その後, 実験室内で産卵を確認しましたが, 増殖までに至りませんでした。その後 9月になって, 佐藤俊さん摂さんといっしょに同僚の矢口教諭が N地で 2ケ所の生息地を確認・捕獲しています。これらNMとNG二つの生息地のメダカは, 私たちの実験室と佐藤摂さんのところで維持しています。
N地の生息地情報がもたらされた時期と前後して, 山形市内の K地や Y地 R地 (どれも寺社地内の池) にもいるとの情報があり, 後日 K地には生息を目視確認しましたが, Y地R地では目視とともに何回か網を入れ捕獲を試みたのですが, メダカではなくモツゴでした。山形市内にもいたのです。私たちが, 久しぶりに野性のメダカが群れ泳いでいるのを見たのは, この山形市の山間縁に位置していて絶えず沢水が流入している K地の池だったのです。
山形新聞に前出の鶴岡市の富樫さんのメダカの放流の記事が掲載されたのも似たような時期でした。1998年 6月30日, 私たちが富樫さんの家から頂いて実験室に帰ったときには, 佐藤摂さんからNS地由来のメダカも実験室に届いていたのでした。あれ程欲しかった黒メダカが, 同時に 2系統も実験室にやってきて, 私たちのメダカの生育地調査にも拍車がかかったのでした。
沢和浩氏との出会いが, 県内のメダカ生息地調査を飛躍的に広げてくれました。月山のブナ林を月一回歩こうと決めている私は, 自然派の知り合いにメダカのことをことあるごとに話し, 情報を集めていました。知人が, 友人にインターネットの情報を利用しながら, 県内の水辺環境に生育している水草の調査をしている人がいることを紹介してくれました。
会ってみると, 月山のブナ林散策で何回かお世話になって以前から顔見知りの沢氏だったのです。沢氏の情報は確かでした。したがって今回報告する大部分のところは沢氏のおかげです。彼の目的はメダカでもゲンゴロウでもなかったのですが, 行く先々でメダカはいたというのです。自然派の沢氏のこと, 生息地が荒らされ, それが原因でメダカそのものも, 彼の目的としている水草が生育できなくなっては困ると気にしているようでした。
 天童市内に, メダカを増殖して近くの小学校に教材として配っている人がいる, という情報をくれたのは, ランチュウという稀少な金魚を飼育・増殖している知人でした。佐藤政則さんというその人は, 四国松山や九州九重, 岩手水沢, そしてスペースシャトルに乗った宇宙メダカの三世など, メダカに関しては日本中から情報やメダカそのものを取り寄せているメダカ・マニア, 自宅の庭は所狭しと大小とりどり多くの水槽が陣取っていました。この佐藤さんは「天童近辺ではほとんど絶滅状態です」と言い切っていました。佐藤さんが維持しているものの中に, 天童市由来のものがいて, それを市内に放流してメダカの生育できる環境を保護したいというのが夢なのだという話をなさっていました。
天童市内でメダカの生息地を知っているという沢氏に同行して, Y地にいったのは, 9 月12日の暑い日でした。まだ夏のため池は, 水辺に下りるのが大変です。やっぱり山間縁に位置して, 東山からの湧水が水源と思われる 3連続きのため池のいずれにも沢氏のいったように野性のメダカの存在を確認しました。引き込まれるような眼の青さが特徴的なメダカを採集して, 天童にもいることに安心しました。同じ日に, いくつかの天童市内のため池を案内してもらい, Y地と離れたY2地でも生息を確認しましたが, 佐藤政則さんの話と総合すると, Y2 生息地は佐藤さんが放流して維持している生息地と思われます。
 天童市貫津の山形県教育センターの生物指導主事の小山田先生が維持しているメダカを見せてもらいました。尾花沢市由来だと聞きましたが, 教えてもらった地点では今年は生息を確認できないでいます。
沢氏と同行しての生育地調査は, 寒河江市・西川町・尾花沢市・村山市・大石田町へと続き, J1, J2, NG, NS, ON, MT, OI, OK の 8地点で生息を確認するとともに個体を捕獲し, 現在私たちの実験室を中心に維持しています。この幾つかの生息地では, 別の時期に矢口教諭も生息確認をして, 互いに生息地環境について共通認識を持ち, 生息地に関してカード化しています。
以上のように, 私たちが 0から発掘して確認したところはないのが残念なのですが, いろいろな方と知己を得てその協力を得ながら, 現在までで12ケ所の生息地を確認し, そのうちの11系のメダカは, 私たちの実験室を中心にして維持しています。
 
4 メダカの冬越しに向けて
 
この冬越しが心配ですが,次のような実験をしています。天童市の佐藤正則さんの方法は,冬になると屋内の小規模な水槽にそれぞれのメダカを移して,加温しながら餌もきちんとあげるのだそうですが,私は維持系と増殖系を分けていこうと考えています。そして,当面は増殖系は持たないで,維持系の確立を目標にします。私たちの考えている維持系は,田んぼ土を利用した簡易トンボ池です。トンボ池は手間いらずの発想からきており, 給餌をしなくても死なないような系でないと, 夏休みなど長期休暇を抱える学校環境では基本的には維持していけないだろうと考えたからです。
屋上に発砲スチロール等の小規模なプールを現在6つ出してあります。中には,今年の夏に都合した田んぼ土が入っています。コナギやオモダカ,ヒルムシロ,オオカナダモ,ミズユキノシタ,クロモ,マツモ等の水田雑草や水草を入れ,その内の安定したと思われる(水が澄んでくるまで結構時間がかかる)3つの水槽には,ヒメダカと鶴岡系(富樫さん由来),天童系(佐藤さん由来)をそれぞれ別のプールに入れています。まだ暖かい時期には, メダカの泳ぐ姿もたくさん確認できていたのですが, 寒くなり越冬用の落ち葉などをプールに入れた11月あたりから, 小さいプールなのですが, 目視では生存を確認できないでいます。でも目立つヒメダカは, プールの底の方にいることは確認できます。この冬を通した実験で, その結果次第では今年捕獲して実験室内や自宅に維持しているメダカを手間いらずの簡易トンボ池プールに移したいと思っています。でも, 山形大学の中谷先生からは, 冬の冷たい時期に底に沈んだメダカの個体群の大きさと溶酸素量の関係で, へたをすると酸欠状態で全滅することもある, といった経験的なアドバイスもあります。凍結防止以外は考えていなかった私もエアレーションをするか, 別な方法でプール内の対流を確保するか難しいところです。
 
5 なぜメダカはいなくなったのか,
  本当に減少の一途なのか

 
富樫幸彦さんは,「ここ10年くらいの間に,急激に生息地が失われてきた」といいます。また,遊佐市で魚類の調査や保護活動をしている鈴木康之さんは,「メダカはレッドデータブックに載せてもいい」とまでいっています。今回の調査で当初から相談にのってもらっている魚類に詳しい県立博物館の池田学芸員は, 「昨年はたくさんいたところだけど, 今年は全くいなくなっていた」と, 生息地の激変があることを教えてくれました。天童市の佐藤正則さんも,「近くでは野性のメダカはほぼ全滅している」といいます。
たしかに, 今年沢和浩さんに連れてもらい, いろいろなところを歩いて, 生息地が奥に押し込められつつあるな, という感じが否めません。なぜ, こうもメダカの生息地が少なくなったのだろう, という問い掛けに対して, 押し並べて彼らは「農薬」を原因にあげます。
一方で, 農薬の低毒性化が, ホタルをまた引き戻している, という話もあります。米沢でハグロトンボの生息地調査を呼びかけられた小方義和先生は, 山形新聞の11月21日の夕刊「提言」の欄で, 次のようなことを書いています。「昭和40年ごろまで, 小さなイトトンボとともにハグロトンボを見たような気がしますミズスマシも泳いでいたし, よく魚釣りもしました。その後, 生活雑排水が多く流れるようになり, 川がコンクリートの側溝になってからは魚も少なくなり, トンボは全くみられなくなってしまいました (以下略)」しかし,今回の呼びかけ調査で, 次のような結果も書いています。「米沢盆地の数本川の10ケ所余りでハグロトンボの生息が確認できるようになったのです。ハグロトンボと少しづつ増えてきており, 生息分布を拡大しているように思えます」。
私も今回の一次のメダカ生息地調査を通して, 似たような感覚をもっています。歩いてみると, 結構あちこちに放棄田があり, 中にはOI地やOK地のように平地でかなり原環境が回復しつつある所などを目の当たりにすると, 一時期は奥へ奥へと押し込められてきたものの, 現在は生息地環境がかなり広くなっているように感じます。しかし,相変わらずコンクリートの U字溝の埋設工事はあちこちで行われているので, メダカもトンボに限らずホタルやゲンゴロウなどの水生昆虫たちにとっても受難は続いています。沢氏も, 天童市内の直ぐ近くでも放棄田にハッチョウトンボなども見かけるという話をしていました。
 しかし,手入れをしない放棄田は, おうおうにして荒れ放題になり, ヨシ原になり中に入れなくなるものです。そして, 回復した水辺環境も急激に乾いていきます。再び使おうと思っている休耕田は, 一見とんぼ池ですが除草剤を入れるものだそうです。
形先生は, 前出「提言」の中で, 次のように結んでいます。「川の草刈りや泥上げなど人為的な環境保持も欠かすことはできません」。イバラトミヨの生息地保護を掲げて遊左町で行われた市民参加型の八ツ面川改修工事などにも学ぶことが多いと思います。最北地区や西村山地区, 庄内地区などにも確認はしていませんが, 生息情報はあります。 J1-J2地の調査のときに近くで稲の収穫作業をしていた小松さんが言っていた「カモの足にでもついて来たのかな」という言葉が気になっています。魚類だから, 水路でつながっていなければ封入型かと短絡的に考えていましたが, 決してそうではないような気がします。メダカの増殖性の凄さと, あの粘着性をもつ卵塊を思い浮かべただけで, 空を飛びながらメダカが増えていくようなシーンが浮かびます。まだ想像の域をでないことですが。
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